由縁

発願主 母の遺言
白雲山・鳥居観音の開祖、平沼彌太郎は明治25年、この白雲山の地に生まれ、後に埼玉銀行(現埼玉りそな銀行)の初代頭取や参議院大蔵委員長を務めるなど、大正の初めから昭和にかけ、政財界で波乱の多い生活を続けてきました。
その彌太郎の母・志げは熱心な観音信仰者であり、その母の遺言「私にかわってお前が観音様のお堂を建てておくれ」という願いを実現しようと、彌太郎は大東亜戦争の戦時下、歩兵中尉として召集がかかって初めて決心しました。
こうして昭和15年に観音堂(現在の恩重堂)が完成し、のちの鳥居観音の母胎となりました。
平沼彌太郎 ~彫刻家・桐江~
本堂に安置されている七観世音菩薩や大黒天などの仏像のほとんどは、平沼彌太郎自らが彫刻したものです。
彼が白雲山境内に観音堂を建てようと考えていた頃、信仰心の目覚めとともに仏像彫刻に入り、本格的な技術を習得するにあたり、仏像彫刻家の第一人者と目されていた三木宗策氏(1891~1945)に弟子入りし、その後、沢田政広氏(1894~1988)や村岡久作氏(1911~1981)などにも指導や協力を受け、平沼彌太郎は仏像彫刻家、桐江としても名を知られるようになりました。
彼が彫刻を始めてから30余年間の作品の大作のほとんどが鳥居観音に凝縮され、いまその作風の経緯をしのぶことができます。
恩重堂
写真:恩重堂
本堂
写真:本堂
写真:七観世音菩薩